まだ三重暮らしに慣れないヒロシです。なれないよ、なれないよ。
少し振り返りまして、
昨年12月後半から鹿児島へ帰り、少しだけお仕事をしてました。
ひとつは、本業の着物のお仕事。
振袖を納めて、着付けをしたり(主にまりこの仕事)
鹿児島市民文化ホールへ成人式を見に行くのはもう楽しくて、ずーっと誰の親でもないのに留まって見てた。

だんだんと、ファーを付けてる人も減ってるなぁと、去年との比較もしながら。

祝いの吉祥柄がたくさん散りばめられた振袖には、
いろんな祈りや願い、喜びやお目出度い雰囲気、鮮やかな色合いから力をもらったり、まわりに力を与えたり、
新年の行事に相応しい振袖の持つ魅力があります。
それなのにわたしたちは、
「柄がごちゃごちゃしてて大人数で集まる成人式会場では、それぞれが個性的なのに、柄物を着ているだけで大多数に埋もれてしまうのはどうなんだ?」
と、無地の振袖をお客様に提案したりしました。
わたしたちは、「ほかの人がもうやってることなら、わたしたちはしなくていいよね。」というひねくれた考え方を持ってます。
大多数の人がしているなら、すこしズレたことしたい。
いや、大多数の人が提案しているところを提案しても負けるからです。
勝てるところを探っているだけです。
大多数を狙えば、もしかしたら儲かるかもしれないのに。
そんなもんで着物屋で成功するのは難しいなと悟っているわけです。
なかなか自分の根性は変えられない。
しかし、ただ「他とは違うこと」を提案するための無地ではなく。
無地の振袖の魅力は、「着る人によって違うものになる」ところが面白い。
自分で「こんなのが着たい」と主張したい人向きかなと思います。
柄がないので、帯や帯締め、帯揚げ、化粧や髪の毛のセットとか、
バッグや草履など、小物を使って、自分の好きなように組み合わせていくと、
自分らしい振袖スタイルが出来るような気がします。
着せられてる感は無くなるかもしれないですね、無地の振袖は。
自分で「着るっ!」という強さが必要かも。
柄物の振袖は、ある種「隠れてしまう。」
振袖の豪華さが、個々人の華やかさを上回るほど煩いときがある。
無地の振袖は、着ている人が全面に出てくる。柄がないから隠れられない。
そんな見方もできます。
ミニマリストすぎて、柄物まで引き算して、引いていった結果の「無地の振袖」。
でも無地でも地紋は立派な地紋があったほうがいいなと思うわけです。
引きすぎると、のっぺらの白生地になってしまいますから。
ちょうどいい加減で、地紋起こしの無地の振袖、良いと思います。
後から染めたりすれば、無地の着物になりますし。柄も足せますし。
そんなことでわたしたちは、誰でもはおススメしませんが無地の振袖を提案します。
あとは、「ママ振袖」。母親の振袖をお直しして着ましょう、と。
それでも「無地の振袖」を着る人がどんどん増えてきたら、
たぶん「いまの時代は柄物でしょ!」とか言い出して、提案するだろなぁ。。
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