2月3日。

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もう節分もとうに過ぎたけど。

 

一昨年まで、2月3日はお寺の祈願祭の手伝いをしていた。

 

12年ほど続けたんじゃなかったかな。

 

良い環境で、年に一度、

 

緊張と体力が試される場で、

 

毎度「手伝います!」と言ったことを後悔するような

 

寒さと辛さと声が枯れるまで唱えるお経と叩く太鼓に込める願いやらなんやら。

 

終了と同時に達成感と少しの休息、即片付け、撤収。

 

こんなことをさせてもらえる環境。良い経験だった。

 

もっと手伝い続けられたらと思っていた。

 

でも、そんな居心地の良い場所を離れて、

 

また別の場所で動ける幸せ。

 

居心地が良くても、留まらないように。

 

流れが滞ると、澱み始める、と。

 

誰かに言われたような、そんな去り方でした。

 

そんな2月3日を

 

今年は、まりこ実家で迎えた。

 

無言で頬張る恵方巻

 

もちろん南南東を向いて。

 

家族と過ごせる束の間。

 

義父の作る美味しいイタリアン。

 

心地いい団欒。

 

だんだん気を使わなくなる自分。

 

甘えが許される、甘いお菓子も許される。

 

しかし、勘違いするな。

 

よくばると、いけないのだ。

 

何事も足りないくらいがちょうどいいのだ。

 

満足すると、

 

もっともっと欲しくなる、欲しがるのだ。

 

そして、この前よりも少なくなると、

 

あれ?足りない。この前より足りない。と、

 

この前はあんなにしてくれたのに。

 

と、なってしまう場合がある。

 

何事にも、まず感謝だ。

 

そして、いい加減、を体得したいものだ。

 

サービスする場合も、される場合も。

 

でも、あと少し、少しだけ

 

パスタが食べたかった、お義父さん。

 

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