デザインのお仕事も。

着物のこと
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ここずーっとデザインのお仕事が頭の中にいる。

 

いつもどこか片隅にありながら、生活する。

 

 

常に考えているわけでなく。

 

晴れの日に漠然と、雨の日に意識して、

 

部屋を掃除してると、いつの間にか支配されてたり。

 

包丁で野菜を、バナナを切りながら、言葉を追いかけたり。

 

 

ちょうどいい意味ってどれ?

 

じゃあ他の表現ってどれ?

 

 

と、掛け合わせたり、消去したり。

 

 

今の世では、誰もがPRしてくれるからね。

 

 

発信したいからね、みんな。

 

 

何か発信するもの探したいよね、みんな。

 

 

みんなにバイヤーみたいな感覚が芽生えているような。

 

 

でも、また変わってきそうで。

 

 

もうついていけない流れがある気がして。。

 

 

あぁどうしよう。やっぱ主催側の発信っているのかな。

 

 

これから面白くなりそうなのに、流れが早すぎてついていけなさそう。

 

 

 

 

おもしろいことが生まれるところに居合わせたい。

 

 

 

 

ま、でも、流れとは別の場所で、生きるんですけどね。

 

 

流れも把握しておきたいんですよ。

 

 

でも、洗練されたデザインとか、ブランドとか。そういうのはもういい。

 

 

ありふれてしまったんでしょうね。おもしろくない。

 

 

田舎は田舎のままがいい。洗練しないところが田舎の良さ。

 

 

もうデザインしないことがデザインなんじゃないかと。

 

 

こちらで決めてかかって、完成形を世に出すことがもう違う。違うのかな、自信ないけど。

 

 

「あなたに価値あるものを」とパッケージしちゃうと、冷めてしまう。

 

 

たぶん、「わたしの価値かどうかは、わたしが決める。」という流れに。

 

 

 

みんな、自分で探す力を持ってるから。

 

デザインって、わかりやすく伝える作業だと思ってたんだけど。

 

もうわかりやすくする作業は、誰かの感動を奪う作業にもなったりしてね。

 

ほら、できれば全く知らないとこ、みんな探したいでしょ。自分で。

 

 

だから「ここはこんなところです〜」って発信しなくていいのよ。

 

 

 

見つけた人が感動して、勝手に発信してほしい。

 

 

そんなアクションにつながるデザイン。言葉。考える。

 

いや、考えるのがもう余計。

 

 

だからもうPRっていらないんじゃない?

 

洗練されたロゴマークいらないんじゃない?

 

 

 

「これなんだろ??」って調べたくなるような。

 

「あ、こんなの見つけてしまった」「誰かに言いたいけど言いたくない」とか。

 

 

そんなアクションにつながるよう設計できないかな。

 

 

いやいや、もう設計とか言ってることが余計だった。

 

 

 

 

結局、自己満足なものしか作れないなぁ。

 

キッパリ自己満足なものを作る。

 

そして、それは尖ってないといけない。

 

尖ってないと、誰にも、どこにも刺さらない。

 

万人に向けると、尖らないから、刺さらない。

 

偉そうなことを言って、カッコつけるようなことを言って、

 

嫌われるようなことを言って、情けないことを言って、

 

 

誰かに刺さればいい。

 

 

そんなデザインに少しずつ、していきます。

 

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