存在を消すつもりで着物を着る

着物のこと
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こんにちは。ひろしです。

今回は、わたしの着物との関わりかたの話です。あまり興味ない話かと思われますが、着物を着る人の気持ちがよくわからないわたしなりの着物を着るときの気持ち、のようなものを言葉にしてみます。

好きで着物を着たことないかも

わたしの場合、着物との関わりは、父親が着物屋でサラリーマンだったことから個人事業主として独立して、それを手伝い始めたことが出会いみたいなもので、着物を着たいと思ったことはないし、どちらかというと『着物を着られるようにならなきゃ』という使命感が強く、あまり良い思い出はない。

こんなエピソードを話せるのは着物屋を辞めたからであって、もし着物屋だったら「とても印象的な出会いでした」とか嘘でもついて着物との出会いを素晴らしいものにしなければならなかっただろうと思うと、辞めてよかったなと思う。と、同時に「着物とステキな出会いでした」と語れる人は、末永く着物屋を営業できたかもしれないので、今現在もフラフラと漂っている自分としてはそれがまた羨ましいかもしれない。羨ましいというより、「とりあえず着物のことしておけばいいか」と、自分を丸め込めて、いちいち自分の本当にやりたかったことなど探す旅に出なくて済んだだろうなぁと思う。

そんなことでわたしは商売のために着物を着るわけだから、自分のためのような、ビジネスのためのような。

自分の心が求めて着物を着たわけではなく、商売として着物を着た。大げさにいうと、生きるために着物を着た。もしかしたらお米を食べるように着物を着ていたのかもしれない。

商売のために着物を着たけど

商売はうまくいかなかった。

何か捉えかたも間違っていただろうし、わたしという人間が着物ビジネスに関わってはいけなかったのかもしれない。20~40歳手前までの盛んな時期を着物と関わってきて辞めているので、ほかに何のスキルも無し。何も積み上げられ無かった自分は残念な生き物だと常に責めているし、何もする気も起きない。早めに燃料とか切れたからもう廃車になるはずの今を地面スレスレで生きている。今後も正社員にもなれず、どこか近くのアルバイトとかしながら子供が大きくなるためだけに邪魔にならぬよう生活していけるようお金を稼ぎつつ、どこかで一発逆転も視野に入れながら今後の対策を考えて打つ手を打っていくんだろう。

70を越える両親がまだ着物屋を続けているのに申し訳ないが、必要な時だけ手伝うようにしている。そんなに仕事はないのに、無理やり業界に留まるために仕事をするつもりはない。

必要なら求められるだろうが、不必要なら忘れ去られる。それでいいと思って今も関わっているから、メインでがっつりと関わるつもりはない。両親は、着物屋に向いていたのだろう。わたし達夫婦は向いていなかった。妻はキッパリ辞めて別の道を楽しんでるから安心した。わたしが立ち直れないのは生まれつきネガティブだから仕方ない。早めに次の熱くなれるものを見つけたいが、どうせまた辞めるだろうと自分を信じられないので熱くなれなくても生きていればいいか、というポジションを見つけなきゃいけない。

そんな中でも着物ブログを書く理由、

一応の生存報告と、過去にお客様として関わらせてくださった方々がもし、万が一、困ったことがあった場合、相談に乗れたらと思っているところがある。

こんな商売辞めてしまうような信用できない人間に頼むよりは他の着物屋やネットショップに依頼するのが1番だと思っているが、もし誰にも相談できないと嘆く人がいるならお手伝いさせていただきます、といったやる気の無さでとても申し訳ない。

着物ブログのアフィリエイトで小さいお金を稼ぎながら、あまりコストをかけずに続けようと思っているが、アフィリエイトで稼げるお金なんて年間数十円がいいところなので、とことんスキルなくて向いてないなと実感する。

家賃や人件費をかけて客を待つスタイルは無駄でありお客様に迷惑かけまくると感じたのでもうすることはないだろう。できる人たちが今でも続けているはずなので、そういうお店を大事にしてほしい。わたしの場合は別の仕事で日銭を稼ぎながらネット上で見つからなくてもいいと待った方がコスパがいい。

そんな人間が着物を着るときの思い

着物を着ると目立つ。

目立ちたくない人、街に溶け込みたい人は、着物を着ないだろう。わたしはそういう人間なのに、着物を着なければならないと思い込んでいた。

着物屋の先輩方のおじさんたちはスーツ姿で着物を販売していた。女性は着物を着た人たちが多かったが、男性はほぼ洋装だった。そこへの違和感が、着物を着ないと信用できない着物屋になる!と意気込んでいた。男性の着物姿の販売員は少なかった。ある種、ブルーオーシャンだ。ブルーオーシャンだと思って着物業界を選んだところもある。結果、辞めてしまってるのでどうでもいいただの青い海だ。

着物姿が自然な感じにならなければ、着物屋として信頼されないと思い込んでいたわたしは、なるべく着物を着るようにした。茶道やお能のお稽古事に顔を出した。無理やり着物を着る場に行けば、着物を必要としている人たちとの接点ができるし、自分も着物を着る必要に迫られるからだ。しかし、現実は洋装のままで茶道もお能もお稽古するのだ。着物を着るときなんて、発表会だけ。自分のビジネスのために、着物を着そうな人たちのところへ足を運んだが、実際は着物なんて着ていなかった。残念ながらわたしのほうが「着物より茶道具」という世界へ足を踏み入れそうになった。

着物姿が自然な感じになるには着続けるしかない。着物を着ていようがいまいが、存在が消えたらいいなと思っていた。東京などの大都市圏であれば存在は消せたと思う。人間が多いから。地方では存在は消しにくい。大都市で着物ビジネスをすればうまくいったかもしれないとか、どうでもいい後悔はいつもしている。

お稽古事へ着物を着て出かけるときは、外の目線が気になった。着物を着ている男性は珍しいと私自身思っていた。自意識過剰な面もあるが、他人から見られているのではと思うと恥ずかしかった。別に誰も興味持って見ていなかったと思うけど。着物=目立つ、と思っていたから、そこでもできるだけ存在感を消して着物を着ることを考えていた。なるべく早歩きで、なるべく着姿もおかしくないように、なるべく地味な色のものを。着物姿で存在を消すというのは、とても難しいことだがそれを目標にしていた。そんな人間が着物を販売していたのだから、うまくいくわけないんだろう。

着物を着ないほうがリラックスできて幸せだった。着物を着ない着物屋、見た感じは、あのスーツの販売員のおじさんたちと一緒だ。それが心地いいと知っていた。困ったもんだ、よけいな正義感みたいなものがずっとつきまとい、着たくもない着物を着続けていた。自分を殺して、親や架空のお客さんが望んでいると思い込んで、そんな自分を演じていたんだろう。

着物を着るときは、存在を消すように=街に溶け込むように着物を着たい、といったコンセプトに変換していった。そんな着物を提案していったように思う。無地の着物に柄物の帯。基本はそんな感じだ。デニムきものや木綿の着物も、堅苦しくなく着られる着物として提案していきたかった。価格は安かったため、資金のないわたしたちには定番で提案しつづける力がなかった。高価格帯の着物を紹介すべきだったと方向転換しようにも、そんな力もなかったしストレスでやる気も気力もなかった。普段着の着物というコンセプトが地方で成功するのは難しかったんだろうなぁと思う。

結局、きもの展示会のことだったり

そんなふうに着物を捉えていたが、着物のデザインだけはずっと見てきていたため、楽しいものと全く楽しくないものと、だんだんとはっきりと分かるようになっていった。着物デザインの楽しさだけが救いだったかもしれない。着物を着なかったとしても、一反の着物にデザインされた柄や色を見たときの

「おもしろっ」が支えていたように思う。ただその「おもしろっ」というのに出会う機会もどんどん減っていったし、わたしが着物に関わりだしたころと比べたら、最近の「おもしろっ」は、無いに等しかった。そのくらい昔の着物のおもしろさがあって、それは作り手、問屋、メーカーさんの力だった。売れるものしか作らなくなって、冒険できなくなっていった今はつまらないけど、売れるものをちゃんと売っていく大事さも解りながら、それでも大冒険しているメーカーは褒めるべきだ。こんなつまらない世界でこんなおもしろいものをつくるなんて、偉大すぎる。そんなものを作っているメーカーの力も落ちていったけど、まだまだおもしろいとわたしたちを唸らせる反物が出てくるからまだ着物から完全に離れられていないのかもしれない。

そんな品物をたまに展示会という形で紹介する。今度は2025年4月5,6日だ。まだ商品は半分ほど届いていない。でも、その商品たちは楽しませてくれるだろう。父は、届いた商品の中から楽しくない商品は展示会場に持っていかない。それが半分以上あったとき、展示会場はスッカスカだ。まぁそれでも楽しいものを見てもらいたい。そんな展示会になるといいな。

今度、今週の土日はよろしければ美山のcocoNotsuへお越しください。

宣伝するつもりなかったけど、勢いで書いていたら宣伝になっちゃいました。

よろしくお願いいたします。

着物のこと