こんにちは。ひろしです。
わたし達は夫婦で着物屋を営業してました。結婚したのが2008年でしたので、そのころから2018年まで。ちょうど10年ほどかと思います。さっそく、着物屋辞めた理由を振り返ってみます。
なぜ着物屋辞めたか?
- 営業が辛かった。
- 『値引きして』で鬱になる。
- 問屋で仕入れても、ネットのほうが安い。
- 店舗でお客様を待つ時間が無駄に思えてきた。
- 着物屋は基本的に『仲介業者」
- 着物のプロとして振る舞える自信なし。
- 常に不健康だった。
- ターゲットを間違えたのかもしれない。
- わたし達はいずれ不要になる。
営業が辛かった。
日々お店を開けながら、お客さんも来たりこなかったり、当たり前ですがそんな中で何か企画を打たなければ来店してもらえない中で、毎月企画展を考えては売上を作って、企画展で売れなければある程度買い取って仕入れを起こさなきゃ次回の企画展ができなくなるし、それで在庫も増えていったり、でも次の企画をするには新規で取引先を作らなきゃと自分たちが気に入った問屋やメーカーを探してはまた仕入れをおこして、それを売っては次の仕入れをと、まさに自転車操業という状態でしたので、身体も頭も休まる暇はなく、かといって動いた分だけお金が入ってくるわけでもない。資金力がないから、常にいっぱいいっぱいで営業していたので『こんなのいつまでも続けられないよな』と辞めたところがあります。
『値引きして』で鬱になる。
着物業界の悪いところですが、高額商品をかなり値引きして販売したりします。着物と帯のセットで100万円のものが50万円になるとか。そういうのがほんと嫌でしたが、わたし達は和雑貨も扱っていたので、『これも値引きできないの?』といった声もちらほらありまして。和雑貨なんて仕入れ値は上代の60%が普通です。1000円のものなら600円が仕入れ値。それも安くしてと言われたりしてましたので、『呉服業界の悪しき慣習の影響だ』と嫌がってましたら、だんだん「値引きしないと売れない」と考えるようになり、お客さんが「値引きして!」と言ってるわけでもないのに、《値引きしてほしいって思ってるんじゃないだろうか。。》と先読みして、《値引きしなきゃ嫌われる。。嫌われる。。》と、どんどんネガティブになっていきました。もともとネガティブ体質ですから仕方ないことですが、神経質で完璧主義なわたしには『お客様のための最高の接客とは何ぞや??』と考えていたら、結局わたしたちが商売を辞めることが最も良いという判断になりました。
問屋で仕入れても、ネットのほうが安い。
着物屋を営業しているときは、年に数回、東京や京都・大阪方面に仕入れの旅へ出ていたのですが、京都の問屋では月商といって、毎月初めの2~3日、業者向けの展示会をしていました。そのときに新規で行ったりするのですが、「いい商品見つけた!」と仕入れて喜んでいると、後々気づいたりするのですが、まったく同じ商品がネット通販で仕入れ値よりも安く売られている。。これではお客さんに売れない。と、せめて仕入れ値と同じ価格で販売するといったこともありました。旅費はかかったのに、利益がまったく出ない。ネット通販のほうが経費を抑えられて、仕入れ価格も大量に購入することで仕入れ値を下げられて、少ない利益率で回転させる営業手法だったら、そんなことは当たり前におこることなんですけどね。それならお客さんにお勧めしたい商品があっても「ネット通販で探したほうが安いですよ」と言いたくなってしまって、これではお店は続けられないなと辞めました。
店舗でお客様を待つ時間が無駄に思えてきた。
毎日お客さんが来るわけでなく、来たとしても1人だったり、そんなに大勢来られても困るけど、1人のために午前中から午後の19:00まで営業していたりすると『ここで待ってる時間、無駄じゃない?』と思えてきた。もちろんそれを待つのも仕事のうちなんでしょうが、元気な30代が身体を使わずにじっと店で待つ、経理の仕事もするけど、そんなずっと事務仕事があるわけでもない。全国を見渡せば、人手不足で困ってるところもある。もうそれなら辞めて人手不足に困ってるところへ働きに行ったほうが社会のためになるよね。しかも、着物屋が1つ無くなれば、他の着物屋にお客さんが行く可能性が上がって、わたし達のように待ち時間ばかり多い着物屋が、少し待つ時間が減るかもしれないよねって考えたりしてました。2018年に着物屋を辞めてから、夫婦2人でリゾートバイトを始めて、身体を動かしまくる仕事をして楽しみました。鹿児島を離れて県外で働くことは、知らない土地を観光しながら楽しかったです。
着物屋は基本的に『仲介業者」
着物屋は商品を作れないし、和裁もしない。悉皆の仕事も受けるが、着物の全体的な状態を見て、あとは悉皆業者へ依頼して仕事を割り振る。基本的に、お客さんと業者やメーカーさんの商品との橋渡し。「わたし達がいなければ、お客さんは安くでモノやサービスを受けられて、メーカーや業者さんも直接お客さんに販売できれば利益率を上げられる。と考えるとどう考えても着物屋要らないよねってところに辿り着いた。
着物屋がオリジナル商品作れないわけではないんだけど、いろんな商品を見たいであろうお客さんのために、自分たちの不慣れなモノづくりに時間を割いても、1、2個しかできなくて、それが売れてしまえばまたあらたに作らねばならないという循環。同じものは許されないし、それなら商品づくりはメーカーに任せて、新鮮な商品を仕入れてはお客さんに見せるほうが満足度は高いだろうと考えました。こんな状況の中、自分たちが着物屋として存在する意味は無いのかもしれない。と、当時は考えてましたね。メーカーさんも自社ブランドつくって小売を始めていたし。
着物のプロとして振る舞える自信なし。
まだ若かったこともありますが、着物のプロとして見てもらうことができなかった。それは自分の実力の無さだから仕方なし。センスが良いと自分を鼓舞していたが、それでは生きていけない。センスよりもいかにお客さんに必要とされるか、お客さんの必要なものを提供できるか。それが足りなかった。いわゆる”着物オタク”と言われる人たちがいたとして、その人たちよりも知識があるわけでもなく、着物を愛しているわけでもない。だれでも「好き」というものがあれば着物のプロになれるんじゃないかと思っていたので、わたし達のほかに、プロと呼ばれる人たちはたくさんいて、その人たちのところへ行き学んだり楽しんだりすればいいと思った。着付け講師の先生たちが、自分のところの生徒さんに着物を勧めているのを見て、これからは顧客に近いところの着付け師や和裁士さんが着物を販売していけばいいかもなと思った。YouTubeの”きものすなお”さんは、着付けの人というイメージだけど、着物販売もされているので、こういう人に信頼が集まって、この人が関わる商品は売れるんだろうなと思う。
常に不健康だった。
自営業をしている10年間、ずっと不健康だった。もう、おじいちゃんみたいに弱々しいといろんな人たちに言われた。実際、健康食品に手を出したり、サプリメントに手を出したり、整体に通ったり、鍼灸院に通ったり。月に夫婦2人で4,5万は出費していて、なんのために働いているのかよくわからなかった。常にストレスと一緒だったので、まぁみなさん誰でもストレスと共存しているんでしょうが、肩こり腰痛、片頭痛、ヘルニア、帯状疱疹、花粉症も急になりましたね。とにかく不健康でした。今もひきづってるから、着物屋していなくても不健康かもしれないけど。おかげで健康オタクにはなったかな。七号食、一日2食の半断食とか試しておもしろかった。
ターゲットを間違えていたのかも。
わたしたちは30代という若さもあって、「もっと価格の安い、普段着になるような着物を提案していこう」と考えていたので、呉服業界では単価の安い、木綿とか浴衣とか、正絹のものよりも取り扱いもしやすい、家庭で洗えるものを勧めていた。カレンブロッソのカフェぞうりのような履きやすくて疲れない草履や、プレタのデニム着物など、居内商店の仕立て上がりのコットン生地の着物なども仕入れて販売していた。それは単価が安く勧めやすかったけど、たくさんの着物を売らねば成り立たないため、難しいところがあった。そんな商品を高級呉服と一緒のサービスで販売していた。自分たちでデニム生地を買って、浴衣を縫う業者にお願いしてオリジナルデニム着物を作ったりもした。そんな中、和雑貨販売もしていたので、着物客ではないお客さんにも買ってもらっていた。その和雑貨のセレクトも楽しかったが、おそらく今後は小売業として鹿児島へ進出してくるだろうと予想していたので、和雑貨販売は撤退しなきゃと思っていた。和雑貨などを扱わずに、高級着物だけのサービスにしておけばよかったかもと後悔もした。
わたし達はいずれ不要になる。
着物屋を辞められたのは、大きな借金がなかったこともあります。自社店舗を建てたりも検討していましたが頓挫したり、銀行に借入はあったけど、返せるだけの貯金もあった。仕入れ先やメーカーへの買掛金もなかったので、辞めるときの負担は少なかった。夫婦2人で、いつ来るかわからないお客さんを待っていてはもったいない。ここで「もっと営業に力を入れていこう!」となればいいんでしょうが、もともと鹿児島の着物人口が少ないんじゃないかと。鹿児島という土地柄、九州各地から顧客が来るようなところでもない。着物が好きな人たちは、五大都市とかまで旅行がてら着物屋にも行くんじゃないかと思っていたので、あまりやる気がなかったという点があります。いい商品はどんどん紹介したいと思っていたけど、毎度おなじ商品を紹介してても飽きられるし、そんなに新商品で好きなものがあるわけでもないし、また着物ってだけでいろんなジャンルの着物を着る人たちに応えるというのも難しかった。ロックな着物の人もいれば、清楚な人もいるし、派手好きもいれば無地好きもいる。わたし達としては雑誌の七緒のような感じが好きなら気が合うかなと思ってたけど、七緒の世界も幅広い。
また、わたしの父世代が呉服業界に何人もいて、年金をもらいながら仕事を受けています。基本、店舗を持たず外商スタイルで、お客さんのお宅へ足を運び、御用聞きをしている感じ。その人たちがまだご健在なうちは、わたしには仕事は回ってこない。わたしも、父が動けなくなったときはこのスタイルで父のお客さんが必要とするときに動こうかなと思いますが、店舗を構えるというより、たまに呉服展示会など開いて、わたしたち好みの着物などを見てもらい、気に入ってくれた人たちに提案できればいいかなと思います。それでも人口が減っていく中で、着物人口が増えるとも思えないので、ここに注力することはできません。今もアルバイトをしながらの、たまに父の手伝いをするような不安定な働き方ですが、もう仕方ないかなと。着物の仕事があるときだけ、仕事できればいいかなと思っています。
まぁ、でも、仕事ないんですけどね。着物屋を辞めた人間に、当たり前だけど仕事は回ってこない。
まとめ
着物屋を辞めた理由を振り返りながら、書かせていただきました。
辞めた理由はいろいろありますので、辞めるべきだったんだと思います。そして、辞めたあとの人生を「結果オーライ」にしなきゃと生活していますが、まだ「本当に辞めてよかったのか?」には答えが出せません。
ただ、
・家族が増えた(結婚して13年目に第一子が誕生した。着物屋つづけてたら産まれなかったかも)
・家族との仲が良くなった(父との呉服商売のやり方が合わなかったので、お互いに関係が悪かった)
この2点だけは、着物屋を辞めて良かったなと感じてるので、あとは収入をあげて好きなことして働いたり、誰かのお役に立てるように日々生活していけたらいいなと思います。
着物のことを初心者向けにお話しするのは好きなのでこのブログは続けていく予定です。もちろん、わたしのような着物屋が必要であればお仕事は引き受けます。今後ともよろしくお願いします。