一皮むける。
さっき、いろんなことが繋ぎ合わさるような、貴重な時間を持った。
妻との会話の中、それは会話の中で自然とそうなっていく。
最近、妻がわたしを褒めてくれた。
「ひろしちゃんの文章は絶望がある。それが良い。」と。
は? 絶望が何で良いの? わたしからしたらよく分からない。
しかし、それが良い!良い!と褒め続けられると、
なんかそんな気になってきてたみたいで(自分でも気づいてないんだけど)
なんとなく、壁、越えた気がしました。
恥ずかしいことに、自分は誰と会うときも自信がなくて。劣等感だらけでした。
自分から誰かに会おうなんて言わないし、それ以前に誰かに会いたいとも思わないタイプでして。
それは、自分のダメさを認める行動なわけですよ。誰かに会うと必ず比較することになってしまって。
わたし以外の人間の方が優れているとわたし自身わかっているわけですから。
だから、わざわざ会って確認したくないんですよ。
自分のダメさを再確認したところで、凹むだけじゃないですか。
しかもわたしのまわり、優れた人間ばかりなんですよ。羨ましい人間ばかりで。
知り合いたちはステキな暮らしをしていたり、多彩な趣味を持っていたり、羨む環境を手にしていたり。
会うと、凹むの分かりきってますからね。誘われても会いたくないんですよ。ええ、イッツ自意識過剰です。
最近そんなマイナス思考な自分をブログでさらけ出しまくってたら、妻に何度も褒められるわけですよ。
「ひろしちゃんの文章の絶望感が良い。」
わたし自身、マイナス思考をなんとかしてプラス思考に持っていかなきゃと思って生きてきたんです。
何度もチャレンジしては失敗してきたわけですが、まぁ一般的に「マイナスをプラスに」と考えますよね。
でも、妻は「絶望感が良い」と褒めるんですよ。
え?マイナス思考のままで良いってこと??と、不思議な解答をもらった気分になったんです。
マイナス思考のままで褒められるなら、別にその部分、変える必要ないんじゃない?
そう思えたらさらに自分のありのままを出せるような気がして。
こうしてブログとかに書き殴っているわけですが。
だんだん、わたしの文章を友人が褒めてくれたり、また別の方が褒めてくださったりして。
「お?マイナス思考を出しまくってたら褒められるぞ?常識が崩れてきとるぞ?」と
自分で築いていた考え方がグラグラと崩れて、
「マイナス思考のまま生きて良いんだ〜♪」に変わったんです。
すると、さらにマイナス思考を暴露していこう。とありのまま、何も盛らずに、書くようになって。
もう凹まないような気がしたんですね。知り合いがいくら羨む趣味を持っていても。
比較して、確実にわたしの方がダメな人間だなと実感したとしても、
良い部分があると褒めてくれる人がいますから。凹まない気がして。
ほぼ全ての部分で負けているけど、一つだけ勝てる部分があればいいや。と思えるようになったのかな。
「絶望感が良い」という言葉だけで、一つ揺るがない自分が出来上がったような。
これのおかげで、人にも興味を持てそうな気がしてきたりして。
今までは、人に話を聞く、という行為はやはり出来なかったんですよ。
人に聞いてしまうと、自分も聞かれてしまいますし、喋らないといけなくなるから。
人に興味を持たなければ、自分も興味を持たれないで済む。という考え方。
もし仮に誰かに何かを聞かれたら、自分のダメさを披露しなきゃいけないと思ってますからね。
自分のことを考えるより、人のことを聞いてみたい。
ね?これ?どう思う?って他人に意識がいくようになったりして。
あ、これって星野源が『 化物 』で「誰か、この声を聞いてよ」って歌ってたのが
『 SUN 』では「君の声を聞かせて〜」に変わってるのとおんなじだ!と思って。
一歩進んだんじゃない? ここに来て、前進したね!
と、たった今、何気ない会話から、前に進んだのでした。
おそらく、また後退しますが、一歩前進。した気がする。
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