こんばんは。ヒロシです。
先日、偉そうなこと書いたんですけどね。
定住していないと、見栄を張らなくていい。カッコつける必要がないとか言ってたんですけどね。
先日、仕事中に「職場のゴミ捨て場がカラスに荒らされてる」と数名でゴミ捨て場の掃除に向かいまして。まぁ派手にゴミ袋がつつかれてゴミが飛び散ってるんですね。新しいゴミ袋を持ってきて、それに四方八方に吹き飛んだゴミを詰めていくんですけど。
どっかで見たことある紙くずが落ちてて、最初は何も思わなかったんですけど。だんだん見たことあるゴミが目につくなぁと思ってたら、どうやらわたしたちが出したゴミ袋もカラスにやられてたみたいなんです。するとそれを他の人たちも拾ってまた新しいゴミ袋に入れて処理しているんですけど。
たまにラップに貼ってある「半額シール」とか目につくようになってきて、ものすごく恥ずかしくなってきまして!食料品のゴミ袋は別の倉庫に捨てるようにしてるんですけど、混ざってしまったんでしょうね。それをカラスが嗅ぎ分けたのかとか思うと皆んなに申し訳なくて。。カラスの仕業だけど、わたしたちのゴミが呼び寄せたかもしれないと思うとまたさらに申し訳なく。。
なので、半額シールの商品を堂々と買えるくせに、職場では「知られたくない!」と思ってるのでまぁ困ったやつです。
人間なんてね、正しくないんだから。
と、樹木希林さんが言ってますし↓わたしも思ってます。
↑図書館で借りてきた本(まりこが)ですけど、おもしろかった。
わたしたちには共感できる部分が多いのよね〜樹木希林さんの言葉。
昨日書いたブログでもそうですが↓
少し、昔の教育とかに噛み付いてみたりしましたけどね。樹木希林さんの本の中にこういう文章がありまして↓

わたしの場合、小さい頃「叱られないようにしなければ」が強くなって挑戦が減って失敗を恐れて欲を持たなければ無理をせずに済むという考え方になっていったりもしてるかもしれなくて。まだ深く考えたことないから違うかもしれませんけどね。↑の文章など共感の部分が多いんですよ。
あと、他にも
「楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。」
って文章も考えさせられた。
わたしはよく「楽しむ」という言葉を使っていたけど、「面白がる」って言葉に変わるとどうなるんだ??と、はじめは理解できませんでしたが、ぼーっと考えていると、「面白がる」というのは自発的で主体的で〈自分が考えうる面白い方向へもっていく〉ような、面白いと思う方向へチャレンジしてみるような、そんな印象があるなぁ、と。
今、もし暇なら、どうすれば面白くなるんだろう。面白がるって、自分が面白いと思うことを行動することだなって。
今まで「楽しむ」と意識していたことを、「面白がる」に変換するだけで、意外でしたが新鮮なものがやってきそう。同じ意味のようで全然違う。言葉のおもしろさ、言葉の選び方、日本人じゃなきゃ共感できない遊び。
あー日本人でよかったな〜、樹木希林さんの本、おもしろかったです〜
コメント