頭にあることはあまりかわらない。

着物のこと
記事内に広告が含まれています。

 

昨年の中盤、たしか病んでました。

 

そんな時に書いた文章は、「これ、ほんとに自分が書いたの??」と

 

疑うことが多く、驚かされます。

 

そんな文章の一つです。↓

 

真っ暗闇では、ほんの小さな光でも、明るく、頼もしく感じるものです。

 

私の仕事はなんでしょうか。

 

それをいつも考えながら仕事をしています。

 

仕事がないときも考えています。

 

誰かの役に立ちたい。

 

底辺の部分にあるのは、それだけ。

 

必要とされなければ消えてなくなるだけ。

 

こちらが声をあげて

 

気付いてもらうように働きかけることは

 

今の世の中ではうるさい気がしてしまう。

 

無駄なものの中に豊かさや幸福がある。

 

合理的の延長にはロボットと同じ暮らししかありません。

 

不必要なところに注げる熱いものが、人間らしくて、その人らしさ。

 

誰にでもわかってしまうような価値なんて、くだらない。

 

自分だけの価値を胸に、堂々とすればいい。

 

その姿勢は、人に力を与える。

 

タダ働きは嫌です。対価に見合った働き方をしたい。

 

着物のこと全般、ご相談ください。

 

と、ありふれた言葉になってしまいます。

 

着物の相談事は、ただのモノとしては考えにくいのです。

 

人の思い、が形になっていることが多いです。

 

誰かのお祝い、結婚、出産、成人、洒落着と礼装、人との関係性など。

 


 

ひどい。。。けど、なんか良い。

 

最近は回復したのでしょう。

 

よかった、自分。

 

そして、最近書こうとしていた文章。↓

 

——————————————————————————————-

 

真っ暗だと、

 

ほんの小さな灯りでも、

 

明るく感じる。

 

だんだん目が慣れていって、その暗さが当たり前になっていく。

 

もうなんでもかんでも光を当てすぎよ。

 

 

なんで闇にまで光を当てるのよ。

 

暗いところがあるから、光の輝きが増すのに。

 

また自分で光り過ぎよ。

 

自分でガンガンに光るもんだから、

 

もう眩しくて見てらんない。

 

 

見て!見て!って光ると、

 

光ってるように見せてると、

 

見たくなくなるのよ。

 

すぐ気づくくらい光ってるから、たくさんの人が見てるはずよ。

 

だから私は見る必要ないはずよ。

 

なので、見ないで〜見ないで〜って

 

している人を、見たい。

 

なかなか見れませんけど。

 

なんでも簡単にしすぎだし、わかりやすくしすぎ。

 


 

おねえ言葉になってる。。。回復してるのかしら。。

 

f:id:ayarawat:20180111093800j:plain

 

 (振袖の着付け練習に付き合った時の貴重な写真です。2018.1.5ごろ)

コメント