たしか、着物屋をはじめる、となった時

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たしか、着物屋をはじめる、となった時

 

着物屋というプロを演じる。その道を歩くことを選ぶわけですが、

 

 

はじめ、知識、経験共にない。

 

そのくせプロの顔をしなければならない。

 

知識も経験もないのに、プロとして活動する。

 

父は言った。

 

「まわりにプロがたくさんいるから、勉強する必要ない。

 

そんな考えなくていい。聞きまくればいい。」

 

そんなはずはない。と思ったし、今も思ってる。

 

問屋さんに入って何年か働いて、商品知識とかつけて、

 

 

それから地元へ帰って、親のあとを継ぐとか。

 

そういう経験せずに、簡単だからと父に言われ続け、いつの間にか入った世界。

 

好きだったわけでなく、興味があったわけでなく、フラフラと入った世界。

 

好きで入った人や、興味があって入った人には、まず敵わない。

 

必要と言われた下積みもせずに入った世界では、自信も人脈も無い。

 

自信もないから、まず、、、普通の着物屋が出来るわけない。

 

 

普通じゃない部分で戦うしかない。

 

武器は「若さ、敷居の低さ、カジュアル」と定めて。

 

(「無い」も武器にすればよかった、と今更思う。)

 

その前にまず、小売業の知識、経験がほぼ無かった。

 

コンビニのレジ打ち程度の小売業経験ならあった。

 

個人事業だし、お客さんと相対する経験が欲しかった。

 

高級着物を扱うとなると、

 

通常小売よりも接客頻度が少なく経験が積めないと思ったので

 

和雑貨なども一緒に扱うことで、

 

接客頻度を上げて小売業の接客を身につけるよう努めた。

 

ここら辺は意識していた。

 

 

接客業務を日々行うことで、お客さんとの一連の流れ、

 

1日、1週間、1ヶ月、1年というスケジュールの流れ、

 

仕入れ、販売、制作、販売、販売に直結する活動、動作、仕組み、

 

販売に直結しないが、必要な活動、動作、仕組み、

 

その各々に付随する内面に及ぼす影響、多くを体験して学ぶことができた。

 

振り返っても大きかったと思うことは、

 

呉服販売では味わえない「日々の現金売上」を味わうことができた。

 

仕事に取り組むことで巻き込まれていく世界も様々で、

 

予想できるものから想定外なことまで、

 

いつの間にか体験して経験して身についていった。

 

これは、

 

 

明日生きていけるか?来週生きていられるか?の状況で

 

常に繰り返される体験であったので

 

大げさに言うと「死と隣り合わせの環境」でいつも選択を迫られる環境で。

 

今思えば、目先の利益を重視していたし、早く安定したいという欲望。

 

儲けたいとかでなく、ただ、明日は大丈夫だよ。という世界だけ望む。

 

私たちは何もかもが普通よりも劣っていて、

 

早くそこから抜け出せたら幸せだなという環境。

 

そんな環境で体験して経験して身につけたものが、多分何かあって。

 

ようやく「人」としてのスタートラインに立てたくらいなのかもなぁとも思う。

 

どちらかといえば、この10年で「小売業」としての経験値はついたのかな。

 

そして、ある程度の小売業の未来も見通せるようになった気がする。

 

そして、だいぶスタートが遅いのだが、

 

これから「呉服業」としての経験や知識が付いていくのだろう。

 

遠いし、先は考えたくないが、ただ、ただ動くだけ。

 

前も後ろも見ずに、ただ、動くだけ。

 

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