まっすぐ生きられない。

着物のこと
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誰かに心配をかけたくない。

 

でも心配っていうのは、人が勝手にすることで。

 

心配の種類も様々だが、その人の予測からはみ出したとき「心配」が発生する場合を考える。

 

予測の範囲内だったら、「そうね〜、よかったね〜」「おもしろいね〜」で済むんじゃないかと。

 

予想外のことだったら、「えっ?なんで?どうして?で、どうするの?」と、答えを聞かれたりしますが、

 

ドラマや映画って先にストーリーを話すと、おもしろくないですから。

 

「まだ決まってません。」と言う。

 

いや、ウソです。本当に決まってないから「まだ決まってません。」と言っているのですが。

 

決まっていたら、もう先に未来が決まっていたら。

 

わざわざそっち選んで行く必要あります? と、天邪鬼発動します。

 

でも心配してくれる人がいて、いろんなありがとう、を思う。

 

気にしてくれて、気にかけてくれて、ありがとう。

 

あなたのどこかに少しでも居場所があったはずだから、心配が発生している。

 

しかしイジワルなありがとうなら、

 

あなたが心配するおかげで、わたしたちは自分の行き先が間違っていないことを確認する。

 

もしあなたが「おもしろいね〜、よかった〜、」となっていたら

 

わたしたちは道を間違えている。軌道修正が必要だ。なぜなら、あなたの想定内に留まっているから。

 

誰かの常識の範囲内にいたら、10人中9人が「いいね〜」って言ってたらレッドオーシャンですから。

 

心配する人が多い方向が正解かな、と捉えるようにする。

 

だから心配してくれる人にはいつも感謝している。

 

でもいつまで経ってもその心配が解消されないよう、

 

「あの人たち大丈夫なの?」と、いつまでも思ってもらえるよう、

 

そのように動き続けなければ、とも考えていて。

 

偏りたくないですが、いつでも心配をかけられる存在であるよう取り組みます。

 

 

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