勝手な分析。
「いいものは手に入らなくなる。」
前々から思っていたのですが、
入らないは言い過ぎで、入りにくくなるだろう。。
陶芸家のように、自分で土をこねて、成型して、窯で焼き、完成させる。
完全に一人で完成させられるものは、長年関わり続けることによって、
少しずつ技術や感性が備わり
いいものが作られていくんだろうなと思う。
それでも、現代では土をゼロから探し出すというより
材料屋から製品化された粘土を買うんでしょう。
いい器を作る人ほど均一化された材料に自分なりの調合をすると思っていますが。
材料が取れなくなると、今の質、技術を担保できなくなる。
でも、一人で完成に持っていけるものは、いいものが広く伝わりそう。
代わって、着物業界のものはほとんど分業制で出来上がるもの。
糸を作る仕事、糸を染める仕事、白生地をつくる仕事、
紋様を織るためのプログラムを作る仕事、
そのプログラムを使って実際に織る仕事、
自分が知らない作業が多く行われていて、どれかが欠けると
できなくなってしまう。もしくは質が落ちてしまう。
以前、東京へ行った際に伺った江戸小紋のお話。
型紙は何千枚とあって、大昔に彫られた型紙が今も現役で使われていて。
型紙は消耗品。
擦り切れたらもうおしまい。
その頃の職人でなければ彫れなかった細かい江戸小紋の型紙は、
擦り切れたらもうおしまい、となるそうで。
手間ひまかけて作っていたものは、当時の当たり前だったんだろうけど。
機械やらコンピュータが入ってきて、できるだけ人手をかけずに
似たようなものを生み出すようになって。
でも、その似たようなものって何かが違って。
デジタルと違って、簡単にコピーはできない。
人の手、人のセンスで生み出されたもの。
昔は今よりも安くで良いものが手に入りやすかったんだろうなぁ。
もちろん、今も良いものづくりをしている所はある。
文化はお金を出して買っている人が繋げてる。
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