ファッションが終わる

着物のこと
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最近のスムージーあるあるですが、

 

「リンゴやバナナを入れようと思うけど、

 

そのまま食べたほうがめちゃくちゃ美味しいと気づいて、

 

ほぼ丸かじりしてしまう。」

 

以上、スムージーあるあるでした。。

 

ちょっとはスムージーに入れるんですけどね。

 

野菜ばかりだと飲みづらいので。

 

さて本日は、「下書きのまま公開していなかったもの」シリーズです。

 

2017年終わり頃書いた記事でした。なぜ公開していないのか忘れました。

 

過去のわたしだと思ってもらえたら幸いです。。

 

 

 

表面的な着物は、いつまでも永遠に残り続ける。

 

最近、

 

もう身体が無しでいい。データと思考だけの世界でもいい。

 

というような言葉を見て。

 

もう身体がいらないなら、服がいらない。

 

ファッション、いらない。

 

となると、着物、いらない。

 

データと思考だけの世界が

 

現実社会になることもあり得る近未来。

 

電車の中では、すっぴんでも平気で。

 

SNSの世界では化粧した自分しか出せない。

 

現実社会よりも、ネットの世界の方が彼女にとっては重要。

 

それはもうネット社会がその人の現実。

 

現実が人によって違う。

 

そんな人が占めるこれから。

 

昔の着物は良い。

 

生地も良し、染めも良し、織りも良し。

 

センスも良し。

 

今の職人さん、作り手さん、作家さん、大変。

 

利休さんのいた時代の茶器にも負けないものづくりを目指したら、

 

敵わないと私は即退場してしまいます。

 

昔の人が作った良さを感じるのは、いろんな要素があるのですが。

 

全てとは言いませんが今、出来上がるものが、

 

昔と比べて表面的になってしまってると感じます。

 

素材は昔より良くなったかもしれないのに。

 

技術は向上したかもしれないのに。

 

なぜ?

 

簡単に作ることが可能な方法を編み出して

 

形式だけ捉えていれば、もう着物と呼べる。

 

内に秘めるものなんて見えない、見ない人が増えてる。

 

見なくてもいいところにコストかけなくていいじゃん。と、資本主義が言います。

 

石川涼さんという、面白くてカッコイイ人がいます。

 

www.fashionsnap.com

 

もう4年前の記事ですけど、一昨年くらいに見て、おもしろかったです。

 

アパレルブランドを経営しながら、「ファッションが終わる」って言う面白さ。

 

でも、最近の若者ファッションは面白い。釘付けになってます。

 

いつからだろう。いつの間にか、ファッションがなくなったと思ってたら、

 

ちゃんと若者独自のスタイルが出来上がってた。

 

「あー、難しいけどオシャレだね〜、オシャレってこういうのか〜」ってものから、

 

「これ、どこがオシャレなの?」というダサさがオシャレな感じまで。

 

漫画「AKIRA」の登場人物のようなファッションの若者が

 

最近目に入ります。

 

髪型も漫画の登場人物のような昔のダサい感じが、今のおしゃれらしい。

 

droptokyo.com

 

↑のHPは、面白い若者がたくさん載ってて、楽しいです。

 

男の子もズボンのベルトが高くて、シャツを中に入れてたりする。

 

もう私にはできない、悔しい。

 

ダサい感じが非常にかっこいい。

 

なんとなく「気まぐれオレンジロード」とか「あすなろ白書」とか

 

そんな時のファッションを今の若者がしているような気がする。

 

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