花を入れる。

日々思うこと
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先日は住んでいるところの清掃作業がありまして。

 

もう草木が伸びて伸びて、これからさらに伸びるでしょ。

 

鎌を持って、雑草を根っこのほうから刈り取る作業。だいたい1時間ほど。

 

しゃがんで地面の低いところで土を触りながら刈りまくってると。

 

ふと見たことない雑草?を発見して。

 

花入に入れたい!あの花器に入れよう!と、パッとイメージがでてきて。

 

そこだけ刈り取らずに置いといて。

 

清掃の時間が終わった後に、鋏を取りに家に戻って、

あまり見られないような場所のその雑草を切り取る。

(さっきまで一緒に作業してた近所の人に見られたら気持ち悪がられそうで。。。)

 

雑草として刈り取られるものと、花入に入れて鑑賞用になるものと。

どちらも命をいただくのですが、選ぶ側(わたし)の我欲で選ばれたものたち。

 

以前、母に言われた「あんたは底の泥の部分を掻き分けて生きているようだ」

 

草を刈りながら、根っこの底辺の方ばかり見て作業してると。

自分のいる場所を見ている気がして。

 

その底辺で見つけた雑草に光を当てられたら、と。

自分を救うように、雑草を切り取って花入に入れていたりして。

 

雑草は、実際に目の前にあっても誰にも気づかれていなかったりするから。

 

前から、野草とか雑草とかを切っては花入に入れて楽しんでたけど。

 

お客さんを楽しませるためにしてたと思ったけど、自分を救うためでもあったのかも。

 

先日も実家でドクダミを入れてきた。

 

ドクダミはどれもこれもランダムで花として入れるのに好きな花だ。

 

すーっとまっすぐな花には興味がなくて。

くねくねと曲がりくねってたほうが好き。

 

やはり自分自身を現しているのか。

ひね曲がったわたしだから選ぶ野草もあるのよたぶん。

 

 

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